5月7日(日) 友引
旧暦 3月18日
月齢 16.9 居待月 (大潮)


<行 事>


<過去の出来事>

足利高氏が六波羅探題を滅ぼす(1333年)

ダービー卿が初のダービー・ステークス開催(1780年)

ベートーヴェンの第9交響曲ウィーンで初演(1824年)

ロシアとの樺太・千島交換条約に調印(1875年)

加藤弘之ら25名に最初の博士号を与える(1888年)

ドイツが連合国に無条件降伏(1945年)

パリ「五月革命」広がる。学生デモが凱旋門を占拠(1968)

日本で第1号の理学博士誕生(1888)
 植物学の伊藤圭介は、1888年(明治21)のこの日、日本で第1号の理学博士となる。ただし、論文の提出による本来的な博士号ではなく、教育行政への貢献度を評価されたもので、今でいう名誉博士的な性格が強かった。本格的な理学博士が生まれたのはそれから3年後。ちなみに、当時は博士の上に大博士の学位があったが、該当者がなく、1898年(明治31)に廃止されている。



<記念日>

博士の日
1888(明治21)年、植物学者の伊藤圭介・数学者の菊池大麓・物理学者の山川健次郎らに25人に日本初の博士号が授与されました。 ただし、論文の提出による博士号ではなく教育への貢献を評価されたもので名誉博士的なものでした。論文による本格的な博士が生まれたのは、それから3年後のことです。 また、当時は博士の上に大博士の学位がありましたが、該当者がなく1898(明治31)年に廃止されました。


<今日の雑学>
樺太の歴史
現在はロシア領となっている樺太(サハリン)には新石器時代の遺跡が各地にあり、古来はオロッコ族、ニブヒギリヤーク族、アイヌが居住したとされるが、間宮林蔵が島であることを確認するまでは北海道の一部と誤認されていたほどで、近代まではどこの国の領土でもなかった。江戸時代は松前藩が経営に当たり、19世紀からは幕府直轄地、幕末に結ばれた日露和親条約では両国の雑居とした。明治政府は樺太開拓使を設けたが、日露間で紛争が頻発。そこで、1875年5月7日に樺太・千島交換条約を結び、樺太をロシア領とするかわりに、千島全島を日本領とした。その際、樺太から強制移住させられた多数のアイヌが死んだという。日露戦争後は、北緯50度以南が日本領となり、のちに日本は北樺太における各種の利権も獲得したが、第2次大戦後はソ連領となった。