10月 7日(土) 赤口
旧暦 8月23日
月齢 22.1 二十三夜 (小潮)


<行 事>
長崎くんち


<過去の出来事>

推理小説の開祖・ポー不遇の死(1849年)
 『黒猫』『黄金虫』など、ミステリ小説の元祖、エドガー・アラン・ポー。3歳で両親と死別、義父との折り合いが悪く大学を中退、編集者として働き詩や小説も発表するが生活は苦しく、結婚11年目で最愛の妻に死なれ、重なる不幸と貧困の中、酒と創作で気を紛らした。1849年10月7日、深酒などが原因で他界。40歳。

東ドイツ(ドイツ民主共和国)が成立(1949年)

日本初のプロレス世界タイトルマッチ、力道山対ルー・テーズ戦(1957年)

安政の大獄で橋本左内ら処刑(1859年)

日本女子登山隊がヒマラヤのディオ・ティバ峰(6000m)初登頂(1960年)

自民党が過半数割れ(1979年)

かい人21面相、グリコに続き森永製菓を脅迫(1984年)
 1984年(昭和59)3月の江崎グリコ社長誘拐に始まったグリコ・森永事件。 “かい人21面相”の次なる犯行のターゲットが、グリコから森永製菓に向けられた。同年10月7日、京阪神のスーパーなどで発見された「どくいりきけん たべたら死ぬで かい人21面相」と書いてあるシールつきの森永製品12点から致死量の青酸ソーダが検出。さらに犯人から、10日後にシールなしの青酸入り菓子を全国に置くとの予告があり、店頭から森永製品の姿が消えた。その後も、犯人から企業や警察、マスコミ宛てに脅迫状や挑戦状が送られてきたが、まったく足取りがつかめず、1985年8月に犯人は“終結宣言”。子どもたちのおやつが店頭に復活するとともに、かい人21面相は姿を消し、1994年(平成6)6月をもって一連の主要事件は時効となった。

ニュース番組「ニュースステーション」放映開始(1985年)



<記念日>

●盗難防止の日
10・7を「トー・ナン」と読み、盗難の防止を呼びかけるために、日本損害保険協会が2003年に制定。



<今日の雑学>

夕焼けの翌日はお天気がいい?
昔から、夕焼けの翌日はいいお天気といわれるが、これは半分当たりで、半分はずれ。日本付近の天気が、西から東へ一日千キロくらいの速さで移動する春や秋にはそうなることが多く、夏や冬は当てにならないからだ。明け方や夕方は太陽光が大気中を斜めに通ってくるので、波長の長い赤や黄色だけが遠くまで届いて、朝焼けや夕焼けになる。西の空が夕焼けに染まるのは、これから移動してくる天気が、雲が少なくいい天気だということを示している。反対に朝焼けは、東の方がよく晴れているということだから、お天気が下り坂に向かっていることを教えているが、春や秋でも東西に伸びる帯状高気圧のときは天気は崩れない。