1月5日(木) 先勝
旧暦 12月14日
月齢 12.7 小望月 (中潮)



<行 事>

初水天宮


<過去の出来事>

大友皇子が太政大臣となる(671年)

東京で京橋〜新橋の馬車道完成(1874年)

女優松井須磨子、島村抱月の後を追って自殺。34歳(1919年)

ドイツ労働者党(のちのナチス)結成(1919年)

大型の映画シネラマ公開(1955年)

グレース・ケリーがモナコ国王と婚約(1956年)

ローマ教皇パウルス6世が東方教会総主教アテナゴラスと会談(1964年)

『坊つちやん』の夏目漱石生まれる(1967年)
 『吾輩は猫である』『坊つちやん』『こゝろ』など、数多い名作を生んだ国民的作家・夏目漱石が1867年(慶応3)のこの日、東京で生まれた。ユーモアと皮肉に満ちた作風で、当時の文壇に衝撃を与えた。現代もなお、根強い人気を持つ。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」は、『草枕』巻頭の有名な一節。

東京・六本木のディスコ「トゥリア」で照明装置が落下、客3人が死亡(1988年)



<記念日>

魚河岸初せり
 各地の魚河岸がこの日にせりを開始する。この時期はまだ初物はないが、新年(暦の上で)の初物としてご祝儀相場がつけられる。



<今日の雑学>

不遇だった夏目漱石
夏目漱石(本名・金之助)は、明治維新の前年の1867年1月5日(新暦では2月9日)に現在の東京都新宿区牛込喜久井町で生まれた。父・直克は町名主で、「喜久井町」という町名も夏目家の家紋が「菊に井桁」であったことに由来し、自宅前の坂は「夏目坂」と呼ばれるほどだった。しかし維新によって家が没落したため、5男3女の末っ子の漱石は生まれてすぐ古道具屋(一説には八百屋)へ里子へ出された。ところが、赤ん坊の漱石は「ざるに入れられて、毎晩四谷の大通りの夜店にさらされていた」という状態。すぐに実家へ戻されたが、満1歳で現在の新宿2丁目の門前名主・塩原家へ養子に出された。その養子生活もあまり幸福なものとはいえず、10歳の時には養父母の離婚から実家へ戻されている。明治の大文豪にも、不遇な幼年期があったのだ。