1月11日(水) 先勝
旧暦 12月20日
月齢 18.7 更待月 (中潮)


<行 事>

<過去の出来事>

マホメッドがメッカに無血入城(630年)

徳川一行、パリ万国博へ出発(1867年)
 1867年(慶応3)の今日、徳川昭武一行は、パリ万国博への招請を受けて、横浜を出港。現地で洋服を着ることになったが、なかにはコートの上から帯を締め、刀をたばさむ者もいたという。

備前藩兵が外国兵と衝突する(神戸事件)(1868年)

政府が金輸出解禁、金本位制が復帰(1930年)

ピストン堀口、東洋フェザー級チャンピオンになる(1936年)

東京でスモッグ警報、初めて発令(1965年)

東大宇宙航空研究所が日本最初の人工衛星おおすみ打ち上げに成功(1970年)

肩ひものないブラジャーをワコールが発売(1983年)



<記念日>

●鏡開き
正月に年神様に供えた鏡餅を下げて、雑煮やお汁粉にして食べる行事。鏡餅は刃物を使わず、割って用いるのが習いで、割るという言葉を避けるために、「開く」という。昔は20日に行われていたが、徳川三代将軍家光が他界したのが20日であったため、以来、11日に変更されたといわれる。



<今日の雑学>

大業績の陰に50歳からの勉強
1745年1月11日、上総に生まれた伊能忠敬は、18歳で下総佐原の伊能氏の養子となり、酒造や米穀取引に打ち込んで家を盛り返した。そこで終わらないのが彼のすごいところ。なんと50歳で隠居し、江戸へ出て、幕府の天文方で西洋流の暦学者だった高橋至時に師事。天文・暦学・測量を学び、1800年に蝦夷(北海道)南東海岸を測量したのを手始めに、1818年に没するまで18年にわたり日本全国の沿岸を測量してまわった。日本の全国地図を作りたいという志半ばにして倒れた彼の遺志は弟子たちが継ぎ、1821年には「大日本沿海輿地全図(伊能図)」と「大日本沿海実測録」が完成。その精度の高さは、シーボルトが1830年ころに持ち帰った写しから欧州でも高い評価を得て、明治以降の近代的地図作製の根拠にもなった。