3月24日(土) 先負
旧暦 2月8日
月齢 6.6 (宵月) (中潮)



<行 事>


<過去の出来事>

聖武天皇が国分寺・国分尼寺の建立を命ずる(741年)

壇ノ浦の合戦で平家が滅亡(1185年)

度量衡法を公布(1891年)

シーメンス事件で山本権兵衛内閣が総辞職(1914年)

労働者組織による上海臨時市政府が樹立(1927年)

女性のファッション・モデル初登場(1928年)

作家・梶井基次郎没(1932年)

内務省がメーデー禁止を通達(1936年)

エルビス・プレスリー、徴兵で軍隊に入る(1958年)

米大使ライシャワーが刺されて負傷(1964年)

中国自動車道全線開通(1983年)



<記念日>

ホスピタリティ・デー
1994年(平成6年)に日本ホスピタリティ研究会(現日本ホスピタリティ協会)が制定。数理学的に「3」は新しいものを創り出すエネルギー・創造・自己表現など、「2」は調和とバランス・思いやり・協力・理解力・人間関係を象徴し、「4」は全体をつくりあげる基礎を表わす数とされ、「3・2・4」はホスピタリティに関連性の高い要素が多く含まれていることから。



<今日の雑学>

梶井基次郎の不遇な死
1932年3月24日、梶井基次郎は第三高等学校時代以来の持病だった肺結核のため、大阪府住吉区の自宅で母に看取られながら31歳の生涯を終えた。1901年に大阪に生まれた梶井は、東大英文科在学中の25年に同人雑誌『青空』を創刊。この年に『檸檬』など青春の虚無と退廃の詩情を繊細な文体で綴った秀作を続々と発表したが、文壇からは黙殺された。結核のために大学も中退し、その後も不遇な時期が続いた。大阪での療養生活を描いた『のんきな患者』でようやく文壇も認めるところとなったが、皮肉にもこれが絶筆となった。彼の書き残した作品は、いずれも短編あるいは散文詩ふうのもので、量も多くはない。しかし、鋭い感受性と的確で豊かな詩情の混じり合った美しい表現は、死後ますます高く評価されて、35年には『梶井基次郎全集』3巻が刊行されている。