|
3月27日(月) 先勝
旧暦 閏2月6日
月齢 5.4 (夕月) (中潮)
<過去の出来事>
松尾芭蕉、『奥の細道』600 里への旅立ち(1689年) 1689年(元禄2)のこの日、46歳の松尾芭蕉は、船で隅田川をのぼり、千住で親しい人々に別れをつげ、『奥の細道』へと旅立った。同行するのは、門人の5歳下の河合曽良。太陽暦に直すと、5月16日である。 江戸伝馬町の獄舎が焼け、高野長英が脱獄(1845年) 吉田松陰が下田で密出国を企て失敗、捕まる(1854年) 日本が国際連盟脱退(1933年) NHKが有線によるテレビ実験放送を公開(1939年) フルシチョフがソ連首相に就任(1958年) 中東危機で国連緊急安保理事会開催(1969年) 厚生省、イタイイタイ病の原因をカドミウムと発表(1968年) パキスタンの内戦が本格化(1971年) |
<記念日> |
|||
|
<今日の雑学> |
切腹の本当の理由は謎の千利休 1591年2月28日、茶道の開祖・千利休が豊臣秀吉の怒りに触れて自害したといわれる。その1カ月後れの今日が利休忌とされ、表千家は27日、裏千家は28日に追善茶会を行う。1522年に堺に生まれた千利休は、北向道陳に茶の湯を学び、のちに武野紹鴎に師事した。織田信長、豊臣秀吉に重用され、85年、秀吉の関白就任にあたり茶会が禁中小御所で開かれた際、正親町(おおぎまち)天皇に茶を献じて、利休居士の号を贈られている。87年には秀吉とともに北野大茶会を開くなど天下一の茶匠となった。草庵風の茶室を完成し、茶道を民衆の生活のなかに根づかせたが、秀吉の怒りにふれて切腹することとなった。その原因については大徳寺山門に自像を置いたことなど諸説あるが、事実は定かではない。織田有楽斎、細川忠興など数多くの弟子に受け継がれた利休の茶の流れは、3世宗旦から表千家、裏千家、武者小路千家の三千家に分かれ、今日にいたっている。 |