4月13日(木) 赤口
旧暦 閏2月23日
月齢 22.4 下弦 二十三夜 (小潮)


<行 事>

日光弥生祭


<過去の出来事>

鎌倉で大地震。死者2万人(1293年)

仏王アンリ4世がナントの勅令を発する(1598年)

武蔵と小次郎が巌流島で決闘、武蔵が勝つ(1612年)

間宮林蔵らが樺太探検に出発(1808年)

日本初のコーヒー店が上野黒門町に開店(1888年)

歌人・石川啄木没(1912年)

インドでアムリッツァー虐殺事件(1919年)

モスクワで日ソ中立条約が調印(1941年)



<記念日>
●水産デー(漁業法施行記念日)
漁業生産の基本的制度を定めて1949年に公布された漁業法が、50年4月13日に施行されたことを記念。最初の漁業法は01年に従来の漁場制度を法制化する形で制定され、10年に改正された。戦後の新法は漁業制度を改革し、漁業調整委員会を設け、旧漁業権を有償で消滅させ、新たに漁業権を免許、漁業調整の民主化・合理化を推進した。


<今日の雑学>
間宮林蔵は隠密だった
1775年(80年説もあり)に常陸の農家に生まれた間宮林蔵は、その数理の才によって幕政の蝦夷地御用掛となり、伊能忠敬に測量術を学び、東蝦夷や択捉島を測量した。ロシアの南下によって北辺日本が騒がしくなってきた1808年4月13日、幕命により松田伝十郎とともに樺太調査に出発し、樺太が離島であることを確認。翌年には海峡を渡ってシベリアに入り、黒竜江下流地帯を調査、デレンに至った。晩年は幕府の隠密として働き、シーボルト事件(オランダ商館医シーボルトが28年に帰国する際、積荷から伊能の『大日本沿海輿地全図』など禁制品が発見されスパイの嫌疑をかけられた)の密告者ともされる。しかし、皮肉なことにシーボルトは32年に樺太とアジア大陸との間を「間宮海峡」という名で世界に紹介したため、世界地図に間宮の名が残ることとなった。