|
5月11日(木) 赤口
旧暦 3月22日
月齢 20.9 (宵月) (中潮)
<行 事>
岐阜長良川鵜飼開き
<過去の出来事>
5層7重の安土城の天守閣が完成(1579年) 刺青刑が正式に執行(1720年) 蝦夷奉行を箱館奉行と改称する(1802年) ルクセンブルクが永世中立国となる(1867年) ロシア皇太子が大津で巡査に襲われて負傷(1891年) オックスフォード大が初めて女性に学位授与(1920年) シャムが国名をタイと改める(1949年) 宇高連絡船紫雲丸が沈没。死者168人(1955年) 植村直己らが日本隊としてエベレスト初登頂(1970年) |
<記念日> |
●長良川鵜飼開き 5月のこの日、長良川で鵜飼開きが行われる。鵜飼とは、鵜匠ひとり、中鵜使ひとり、船頭ふたりで構成されており、つないだ鵜に鮎を捕らせる伝統的漁法。その歴史は古く、中国の『史書倭国伝』には7世紀初めに鵜に首結いをつけて魚を捕獲したと記されている。長良川のような深い川で捕漁する場合には、2歳未満の鵜をならし、15〜20年間飼育するという。彼らの1日の働きっぷりは、鮎や鯉など平均約40匹!。 |
<今日の雑学> |
金物をはずした罰で初の入墨刑 8代将軍・吉宗の代の1720年5月11日、江戸長崎町の半兵衛という者が、江戸橋の橋脚に巻かれていた金物を外した罪により、北町奉行がかりで入墨のうえ追放されているが、これが正式な入墨刑の第1号といわれる。日本における入墨の歴史は古く、3世紀ごろの日本について書かれた『魏志倭人伝』に入墨のことが記されている。さらにそれ以前の縄文時代からも入墨の習慣はあったらしい。また原日本人とも考えられるアイヌ民族にも入墨の習慣があり、明治時代まで残っていた。入墨の元々の目的は装飾・宗教的儀礼などが考えられるが、江戸時代になってからは刑罰として犯罪者に入墨するようになった。当時の刑罰としての入墨は地方によって異なり、江戸では幅3分(約1センチ)の2本筋を腕にぐるりと入れ、大阪では幅5分の2本筋を入れたそうだ。 |