6月3日(土) 赤口
旧暦 4月15日
月齢 14.5 十五夜 (大潮)


<行 事>
上高地ウエストン祭(4日まで)
広島とうかさん大祭



<過去の出来事>

オランダが西インド会社を設立(1621年)

ペリーが黒船4隻を率いて浦賀に来航(1853年)
 アメリカの提督ペリーの率いる黒船4隻が、開港を求めて浦賀に来航。「太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)たつた四はいで夜も眠れず」といわれ、徳川幕府をはじめ日本中で大騒動となる。結果的にこの出来事が明治維新の起爆剤となり、日本は200 余年の鎖国政策から目を覚ますこととなった。

日独伊が蒋介石の国民政府を正式に承認(1929年)

ウィーンでケネディvsフルシチョフ会談(1961年)

韓国で朴政権打倒の大デモ。京城に戒厳令(1964年)

阪急の福本豊選手が盗塁939の世界記録樹立(1983年)

雲仙普賢岳の火砕流で死者・行方不明者34人(1991年)




<記念日>

●測量の日
1949年、測量や地図作成の規範となる「測量法」が公布されたのを記念し、国土地理院は1989年に毎年6月3日を「測量の日」に制定。測量についての意義及び重要性に対する国民の関心を高め、測量の成果である地図などの普及・促進を図るのが目的。この日は建設省や「測量の日実行委員会」などで、日本経済の発展と安全な国民生活の向上に重要な役割を果たしてきた測量・地図の意義及び重要性について理解と関心を高めるための啓蒙活動や、測量に対する功労者表彰などを行っている。



<今日の雑学>

ペリーとの交渉で使われた言葉
1853年6月3日、アメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官ペリー提督の乗り組むミシシッピー号など4隻の軍艦が浦賀に来航。ペリーは、対中国貿易のための寄港地として日本の開国を求めるフィルモア大統領の国書を携えており、日本中が上を下への大騒ぎになった。当時、日本で英語を知る者は少なかったので、交渉にはオランダ語のできる日本人が通訳にあたった。通訳はまず「私はオランダ語を話すことができる」と英語で話しかけたのでアメリカ側は驚いたが、彼の話せる英語はそれだけだったとか。翌年、ペリーが再来し、日米和親条約が締結された時には、オランダ語通訳のほか、ペリーの船に中国人が乗っていたので、漢文による筆談で交渉した。しかし、漢文と日本語のニュアンスの違いから条約文にいくつかの誤りを生じさせてしまったという。