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10月20日(金) 友引
旧暦 9月6日
月齢 5.4 (夕月) (中潮)
<行 事>
岡山真庭木山神社大祭
<過去の出来事>
文永の役(1274年) 二宮尊徳の明快な指導は薪と本のおかげ!? 昔、小学校の校庭の端にあった薪を背負い本を読む少年の像のモデルとなったのが、1856年の今日、70歳で他界した二宮尊徳である。貧しい農家に生まれ早くに両親をなくした二宮は、荒れ地を耕すなどの苦労を重ね、若くして地主となる。その手腕を買われ、大名の財政建て直しや荒村の復興などに尽力。自らの農業体験に加え、大の読書家だったことから、明快な指導を行い、官民両者から人気があった。「百万石の米といえども粒の大なるにあらず。万町の田を耕すもその技は一鍬ずつの功による」は、尊徳の言葉。 日本初の新聞と言われる海外新聞発行(1864年) メートル法条約に加入(1885年) 元老院廃止(1890年) 『都の西北』発表(1907年) 日比谷公会堂開場(1929年) 戦没学生の遺稿集『きけわだつみのこえ』出版(1949年) 日生劇場開場(1963年) ワンマン宰相 吉田茂元首相没(1967年) 北海道愛国駅で幸福駅ゆきの乗車券発売、大人気を呼ぶ(1974年) |
<記念日> |
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<今日の雑学> |
日本初の新聞広告は? 新聞を世界で初めて作ったのはユリウス・カエサル。「毎日の出来事」という名で、銘板にローマ帝国のニュースが書かれていた。公報壁新聞みたいなものだったのだろう。本格的な商業新聞は1609年にドイツで発刊された「Aviso」「Relation」で、このころ広告代理店もつくられ、新聞広告が始まったとされている。日本では慶応3年3月に初の新聞広告が「万国新聞」に出された。広告主は横浜の中川屋嘉兵衛で「パンビスケットボットル右品物私店に御座候間・・・」というものだったという。 |