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11月12日(日) 先勝
旧暦 9月29日
月齢 28.4 晦日月 (中潮)
<行 事>
<過去の出来事>
岩倉具視ら遣外使節団が横浜を出発(1871年) 1871年の今日、欧米文明の見聞と不平等条約改正の打診を目的とする使節団が、神奈川県庁に集まった。全権大使は岩倉具視、副使に大久保利通と木戸孝允のほか、華子族54名、女子学生5名が、横浜港から蒸気船アメリカ号に乗船して、サンフランシスコに向かった。このなかには、中江兆民や最年少の8歳になる津田梅子がいた。 ワシントン海軍軍縮会議開催(1921年) 極東国際軍事裁判で戦犯25被告に有罪判決(1948年) 自民、社会、民主党首が初のテレビ、ラジオ討論会(1960年) 市内電話料金が度数制(7円、公衆電話10円)から、時間制(3分)へ(1972年) 今上天皇即位の礼(1990年) |
<記念日> |
●洋服記念日(全日本洋服協同組合連合会) 1872年のこの日、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」との太政官布告によって和服礼服は廃止され、役人は大礼服、通常礼服の着用が義務づけられた。これを記念して全日本洋服協同組合連合会が制定した日。 |
<今日の雑学> |
日本の洋服の歴史 明治5年の今日、礼服に洋服着用を義務づけた太政官布告が発布された。日本で洋服製造が始まったのは、その3年前。土木業者の西村勝三がドイツから裁縫師を呼び、東京・京橋で洋服仕立業を始めている。明治10年におこった西南戦争で軍服の需要が高まり、さらに兵役から帰ってきた軍人が古着屋に洋服を売り払ったために、一般にも洋服が広まっていった。明治15年には官立学校の制服が洋服になり、大正時代になるとサラリーマンも洋服を着始めるようになる。背広という言葉は、ロンドンの一流裁縫店の立ち並ぶ街セビル・ロウからきたものとか、ゆったりとして背中が広く感じられるから、という説がある。 |